24/06/27

花をおくるよ
食用菜っぱ 2024.06.28
誰でも

 勢いばかりが強くあまり冷たくはない風をあびて、窓の向こうとこちら側、「外」を分ける境界が一瞬曖昧になる。セットしていない前髪が束になってはたはたと揺れるのを眺める、こちら側が日の差す席。大量の人間が降りていく規則的な動作にいつしか弾みがついて、横波をかぶる船みたいに乗りものが揺れる。駅からここまでぎっしりと人を乗せていたバスに空間ができる。人がわっと降りる駅がある、ということをぼんやり覚えてはいて、でもそれがどの駅かを覚えられるほどにバスを使うわけじゃなく、覚える気も必要もなかった。もう忘れないような気がしている。

 前回会ったときに日記本を買ってくれたひとと会う。話を持ちかけられるまで、それ以来の再会だということをすっかり忘れていた。あのときの、感情の微妙な機微を伝えてくれているのかもしれないし、いないのかもしれない彼女の表情が、頭を離れないでいる。あの顔と声音を知っていると思った。軽やかに自分の話をしたり、書いたり、そういう人を見るたびにわずかに傷ついている。そんなふうに日記に書いたのはそう昔のことじゃなかったはず。

 「一年後の自分に向けた手紙」が苦手だ、ということにごく最近気がついた。この二月、よく知る筆跡で「1年後の私へ」と書かれた封筒がポストに投函され、以降「保管」という言葉を使うのもはばかられるほど雑多な状態で、開封されないまま手紙はある。実際に読んでみたら大したことはなくけろっとしているような気もするし、あるいは、そのうち目に入れるのも耐えられなくなってゴミ箱に捨てるのかもしれない。手紙をたぶん一度も捨てたことのない私、紙の厚み、重み、肌ざわりをあまりに崇拝している。その手紙のことは躊躇なく捨てている様子が思い浮かぶ。でも今回は一年じゃないし、三ヶ月、ひと夏分くらいなら。難しく考え始める前に彼女が示してくれた席につき、便箋とインクをセッティング。人がたくさん集まる場では身体が予想外の動きをする、手もとがくるってインク壺をひっくり返してしまった…指先と爪のなかが芝生にこすりつけたような色に染まる。あとからあがったストーリーズ写真のなかに私が書いていた最中の手もとが写ったものがあり、そばには白い部分がだいぶ少なくなってしまった無防備なウェットティッシュ。じわっと申し訳なさと恥ずかしさがこみ上げる。

 机に向かってもむろん「書きたいこと」なんて浮かんでこなくて、ただ、三ヶ月後の自分を怖がらせたくない、ということだけを切に願った。よくも悪くもいつも未来の自分に何かを、期待を、おそらくは「幸せ」を、望んでいたから、書けないし読めなかったのかもしれないね。ただあなたが、いまの暮らしを粛々と続けていてほしい。起こったこと、起こらなかったことのあとがきを書き続けるように日記を書き、叶うかぎりすこやかに、「生活すること」を続けていてくれたら、少なくともいまは、これ以上はなにも望まない。三ヶ月後の私と今日の私、額をつき合わせて答えあわせをしましょうね。

 最近話すようになったひとが最寄りの駅まで送ってくれて、道中少しおしゃべりをした。とてもあっけらかんとした調子で彼女は「大丈夫」を言う。(「あっけらかん」って、そういう音色の鈴だと思う)他人から投げかけられる「大丈夫」を素直に受けとめられず勝手に傷ついてしまうことが多いから、自分から発することもかなり減ってしまった。同時に、誰かから何かを打ち明けてもらったときの瞬発性、あるいは、無責任や同情とかそれ以前にある、何かとても大切なものを私は手放してしまったような気がする。そんな私が「大丈夫」がゴールにあることを半ば確信して、こういう話題を選んでいる、というのはいささか妙だとも思う。フラットな「大丈夫」と無責任な「大丈夫」をいつまでも冷静に見定められないから、ただ「そうなんだね」と口にすることができない私なのかな、ああ。

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